2009/04/17

久々の日本の印象

1年明けて帰った東京の2ヶ月間での印象をつれづれに。

・ 広い
広い。香港では中心部なら歩ききれる感じでもあり、どこに行くのも
30分くらい、1時間あれば空港や中国本土も、という感じだったが、東京では職場まで1時間近くかかったり、友人と待ち合わせるのも一苦労(香港と比べて)、である。
今まであまり意識していなかったが、もうちょいコンパクトなほうが色々楽かも。

・ やたらサラリーマンが多い
スーツを着たいかにもビジネスマンという感じの人を東京の方が圧倒的によく見る。自分が働く場にいなかったという以上に、違う。香港は自営業、私服で働いている人が多いのかな。

・ 人がとげとげしい
なんだか殺気立っている気がする。
ビジネスの場や満員電車ではもちろん、各所で人の自己防衛・攻撃的な雰囲気を感じる。

・ 空気がうまい
東京の冬の空気。おいしい。香港は他のアジアの大都市に比べたら大気汚染はまだましで、苦痛としてそれほど意識されないレベルであったが、東京に戻ったら空気がおいしく、透き通っていると感じたので、やはりそれなりに汚れていたのだ。

・ タバコをよく見る
タバコを吸う人が目に付く。香港では公共の場所、特に室内で吸う人をあまり見なかった。相対的に、日本でとっても目に付く。

2009/03/15

香港生活終えて2 長い休暇で学んだこと

仕事を再開して早くも3週間。

もうすっかり、1年前と同じ感覚で仕事をしている。復帰前は、毎朝目覚ましで起きて電車に乗って・・・なんて生活は苦痛だろうななんて思っていたけれど、あまりに早く、3日目くらいには慣れてしまった。日常に戻ったという感じである。

ひさびさで新鮮な仕事はまだ責任が重くかかっているわけでもないのでそこそこ楽しいのだが、そこそこ長く働くと身体が悲鳴をあげているのは感じる。

まあこれは単に年を重ねたことによるのかもしれない。

働くとやはり週末のありがたさが身にしみる。休みが少ないからこそ、あれをやろうこれをやろうという思いもわいてくるし、間延びもしない。やはり仕事あっての楽しめる休日だなあと思った。
さて、日本で生活していたころには、仕事の合間の休みには海外旅行!と決め込んでいたのもあり、他の軽い活動以外で、継続して時間を割いて打ち込んでいるものはおらず、「仕事が忙しくなくて時間があればあれもこれもできるなあ」と、思っていたことがたくさんあった。あの技術書を読破しようとか、お寺生活時代に考えたことをまとめようとか、テニス習おうとか。

しかし、いざ1年もの休みを得ると、これらのことは実際にはあまりできなかった。ちょっともったいなかったなという後悔がある。

一方で、大切なことをひとつ学んだ。
それは、本当にやらなければいけないと感じることは"~タラやろう","~レバできる"で後ろのキューにまわしてはいけないということ。それらは、無理してでも"今"やらなければ、一生されないと考えたほうがよいということ。そして、それを知った上でなおも、タラレバでやろう、と考えてしまうことは、最初からあきらめてで捨ててしまった方が精神的な荷物が減って楽に生きることができるということ(その象徴は、「いつか読み直したい」程度の本などは捨ててしまって部屋を広くしろというようなこと)。
「後でやる気があるのだ」と思うようにすることは自分に対する言い訳として、一瞬楽にする効果があるが、そうやって作られた宿題は「今を生きる」ことに没頭しきることを妨げている気がする。

若く心身ともに健康な時に1年の暇があってできないことは、今後もできない可能性が極めて高い。もちろん想像もしない機会があるかもしれないし、自分自身の精神構造が変わるかもしれないので、可能性は残しておきつつ、ちょっと心を軽くしてみようかなと思った。

と、言葉のままに実行してゆくのはとても難しいことであると知りつつ、長い休暇で学んだことを忘れないでおきたいと、敢えて文字にしてみた。

2009/02/22

桂林旅行記

桂林の旅行記を書きました

日本からわざわざいく場所ではないと思うけれど、香港在住なら週末の気分転換によいかも。

2009/02/21

香港生活終えて1 休職決意の2つの理由

3月1日より仕事に復帰と思っていたが、急遽、来週から働くことになった。
しかも、初日から客先。
1年以上に及んだお気楽平日がとうとう終了した。 たったの一週間違いだが、いきなりその日が来たという感じである。

久々に働く気マンマン!

・・・というわけでもないが、働かないことにちょっと飽きたのもあり、その気にはなっている。

旅行もマッサージも、つらい仕事の後にこないと開放感を味わうことができないゆえ、そろそろ空腹というスパイスとしての仕事が必要だった。
そして、少なくとも自分の場合はなにか明確に自分が公的な場で活躍しているか、または、一心に打ち込めるものがないと、生活の充実感を自分でなかなか充足させることができないということを、身を持って学んだ。これはお寺で3年近くを生活していたときに予感していたものでもあるが、あの時には学びたいこと、知りたいことが明確にあったので大丈夫だった。

私のいる業界での1年の重みは大きい。
学ぶ領域は尽きることがないし、技術の進歩も早い。1年、現状維持をするだけでも、大きな後退である(そして私は現状維持もできていない)。
過去の1年1年を見ると、前の年にできていなかったことができるようになったとか、人とのネットワークが広がったり信頼関係ができたとかが明確に分かる。 だから、この1年で得られなかったことの大きさが、実感できる。

しかし、それは分かった上で、1年間の休職、香港主夫生活を選んだ。
理由は大きく2つ。

一つは、相方にとって、香港でのキャリアがとても意義のあるものだと感じたから だ。

アジアの重要なハブであり、彼女の仕事分野にて、よりスキルのある人が多くいる香港で働いて得た知識、経験、人脈などは、今後のキャリアの大きな糧になるに違いない。そして、仕事以外でも、得がたい体験が待っているだろう。

だから、彼女には行って欲しかった。

彼女は私が香港に行かないのであれば、香港にはいかないと言っていたので、私も行く決心をした。

香港で"仕事上で"彼女が得るものは、日本で1年間、継続して私と彼女が働いて得るそれの総量より上かもしれない。だったら、私が立ち止まってもいいのではないかと思ったのだった。

もう一つの理由は、私の中で完結している。

私の価値観として、仕事上でいわゆる成功をおさめるよりも、人生の中で、多くの体験をしていろいろな世界を垣間見て行くことがより重要である。
海外で暮らす1年。働き盛りの年齢に仕事をしないで過ごし、主夫的生活を体験すること。
それは、キャリアをどれだけ積んでも得ることのできない貴重ものであり、今後の人生の中で、理解できるものの幅を広げると考えた。

1年分のキャリア上のマイナスは、意識を持って頑張れば、いくらでも挽回が可能である
しかし、この時期に海外で1年生活をするという体験は、逃してしまえば代替がない。

もし、仕事上でとても成功して生活のために働かなくてよくなったら何をしたいか。
世界を見に行きたい。

だから、もしそれが今できるのだったとしたら、する。
ということだ。

そして、1年を終えて。
2つの理由は、どちらも正しかった。

2009/02/19

東京と香港 の家探し

サービスアパートメントに身をおきつつ、1年前に香港でした家探しを、また東京でやっている。

香港は家投資バブル崩壊でこの1年で結構家賃が下がったが、やはり東京はあまり変わっていないようだ。日経平均が約半分になったのを考えると、投資対象としての物件の利回りが大きく下がったり、激しく原価割れしたりしても当然の気もするけれど。

結構、色々と見てまわったが、決め手にかける物件にはまだ出会えていない。

香港は狭いため、住む場所もたいがい都心で、仕事にも生活にも便利な場所ばかりだった。そして、共用設備も充実していた。
あと、前に東京で住んでいた場所も条件がかなりよかった。
それらの記憶が悪さをして、どうしても欠点が目にいってしまう。気持ちを切り替えねば。

去年は「香港は東京より家賃高い!」と感じたが、今年で言うと東京の家賃は香港より高い印象だ。 礼金制度もあるし、仲介手数料も香港では貸主と半々だったのに、日本では借主で基本1ヶ月もちだし。

東京は小規模マンションや一戸建てが多いので、香港と比較すると土地が広い割に人数を収容できていない。
故に、広域にわたって家賃が高くなっているというのもあるだろう。

香港みたいに政府が強制立ち退き&再開発で超高層大規模マンションを作る というのをしまくってもいいのでは。

というのは、新参者の勝手な意見だろうけれど。

ともかく、香港のことを忘れて家探しせねば。

2009/02/16

日本人オケの話

香港生活で日本人オケに入っていたことをほとんど書いていなかったので記録。

香港には、駐在、在住の日本人によるオケがあって入れさせてもらった。
ほとんどが一時的な駐在メンバーなので、入れ替わりが激しい中、よく運営が10年以上も持っているなあと感心した。
メンバーは香港に来ても音楽活動をしようというだけあって(あるいは他にやることもなくて?)、熱心で仕事に対して協力的だったと思う。
人数が少ないと逆に、各自が責任感を持ててよいのかも。
あと、短期メンバーが多いので、既存メンバーにより既にできあがった入り込みにくい雰囲気がなかったのも、自分にとってはよかった。

メンバーはもちろん流動的なので、ビオラは私が入る前は一人もおらず。足りないところには、いつもトラに来てくれる香港人が助けてくれていた。
指揮、指導は音楽の先生もいるメンバーの中で出す。私のいた時は音楽の先生がいたし、他にも指導できる人がいた。結構いいタイミングで来たのかもしれない。
香港の現地オケの英語指導は(練習期間が短いというのもあり)、第一言語でないため、細かいニュアンスを伝えるようなことはあまりなかったので、こちらの方が楽しかった。
本番は日本人小学校の体育館で、音響はそれほどではないが、そこそこに聴きにきてくれる人もいて、アンケート結果を見てもそこそこ楽しんでもらえていたようで、よかった。

あと、ホームページの管理人が香港を離れていたこともあり、新たに私が作り直した。
アンサンブル・ディマンシュ(香港) ホームページ

テンプレートを
http://www.oswd.org/
からもらって、あとは相変わらずテキストエディタで html を書くという地味なやり方で作成。css とか忘れかけていたので、ちょっと時間がかかった。
検索対策も一応した。
しかし、なんのアルゴリズムか、「香港 オーケストラ 日本人」で検索しても、私のブログが一番に出てきてしまう。
(しかもこのブログはアドレスを見ると個人名が特定できるし・・・)

話を戻す。
定期的に練習するオケに入ったのは、実に10年ぶり以上だが、久々にやると結構楽しいという発見もあってよかった。
また仕事が軌道にのって、余裕がありそうに見えたら日本でまたやってもよいかなあという気にもなったのであった。

2009/02/07

香港滞在もあと1日を残すのみ

最後となると、飽きるほど見てきた街の景色がいちいち愛しく感じる。
でも、ここで遣り残したことは・・・と考えてもでてこない。

「でっかいこと」や「新しいこと」はさして何もしなかったけれど細かいことは悔いがない(=あっても帰ってしばらくしないときっと気付かない) 。
テニス、バイオリン&ビオラ、各種オーケストラ、カルテット、ダイビング、旅行など、趣味を満喫させてもらった。
日本人オケのホームページを作ったりもしたし、なんだか昔やったことを改めて色々とできた1年であった。仕事をしているとなかなかまとまった時間をとることができずに難しい。

明日は香港らしく 飲茶&アフタヌーンティーでもして、明後日の朝に飛行機。
1年ぶりの帰国と行っても、電気製品の売り先探し以外は引越しは相方&業者任せなので、する準備は旅行に行くのとあまり変わらない。精神的にも比較的軽い。

この国をさらっと去ることができるのは、香港にいる人々や組織などにそれほど深く関わる生活をしなかったからなんだろうなあ・・・とちょっとそれが寂しくもある。
別れがつらいということは、何かとても大切なものに出会えたことの表裏であることの、その逆をいっているのかもしれない。

日本に帰って、何が恋しくなるのだろうか。

2009/02/03

八仙嶺トレッキング

とても暖かい日々が続く。
今日は日中は日本人でも問題なく半袖で過ごせるレベルだった。

最後に香港のちょっとハード系のトレッキングに挑戦してみようと、5.5h/12km の
Challenging レベルとされる場所に行ってみた。

場所は、中国本土にほど近い場所。
KCR 粉嶺 -ミニバス52B→鶴藪水塘→屏風山→黄嶺→八仙嶺→大尾篤→(ミニバス)→ KCR 大埔
というコース。

実際にかかった時間は、コースの開始地点から終了地点まで、お弁当を食べた時間を入れて、4時間ちょい。あまり休まなかったし、写真もそれほど撮らなかったので。

標高は 700m もないが、出発点がほぼゼロメートルだからそれなりには登った。最初に一気に登ると、後は尾根伝いに緩やかな上下で、さえぎるものがない深圳から獅子山までの雄大な景色を楽しめた。家から一時間で海も山も堪能できる香港はやはり便利。(アルプスのような景色はないので、愛好者には物足りないだろうが)

行程は体力というよりは、暑くて参った。日差しが強く、日焼け対策ゼロだった手がおそろしく日焼けしてしまった。やはり香港では夏は山登りは無理。
そして冬でも緑は豊富であった(頂上付近は斜面の半分が一面焼けた後だったが)。

平日なので人もほとんどおらず。
しかし、なぜか一つ山の頂上で上半身裸で新聞を読むおじさんがいた。

2009/02/01

電気代がただ

最近、電気代の請求がいつもゼロ。
なぜなのか、調べてみたら理由が分かった。
https://www.clponline.com.hk/Documents/Govt_Subsidy_update_clponline_pdf_file_English_v2.pdf
家計を助けるために、政府が2008/9〜2014/8まで、一世帯辺り月に 300ドル(4000円くらい)の電気料金補助を出しているそうな。オール電化な我が家でも支払いゼロになっている。

去年の酒税の大幅減税といい、なんだか色々と太っ腹な政府である。


と、気付くと、私の香港滞在ももうあと一週間を切った。
やり残したことを、と意気込んで旧正月の最悪のシーズンにも関わらず、本日朝までは、桂林に行ってきた。

明日は古本を売りに行って、買い物して、明後日はできたら最後の山登りをして、次は競馬・・・と色々計画してとりあえずの悔いをなくさないようにしようと思っているのだった。

2009/01/26

やっと年明け

香港は旧正月がメインなので、今日が本当の日本でいう新年らしい新年。
大晦日の夜は 12/31 の時のようなお祭り感はなく、家で家族と過ごしている模様。

新年は多くの店は閉じられ、それでも家族たちがお休みで街にあふれていた。
こちらは、生まれの干支に正月期間によって着るとよいとされる服の色が決まっているようで、いつもより赤といった服が目立つ気がする。旧年よりのセールも続行中。

爆竹がすごかった、と言いたいところなのだが、場所柄なのか、一度も聴いていない。 花火は明日の夜なので、見るつもり。

さて、こちらではマンションで働いているスタッフにお年玉を渡す週間があり、ちょっと前にお年玉袋が配布された。
今日はいつもよりやたらスタッフが多いし、愛想がよい。
そして、生まれて初めてお年玉をあげるという体験をしましたとさ。

客人は今日はマカオへ。
我々は正月らしく、家でだらだらと過ごした(ポニョがやってきたので映画を見にこうと思ったが人が多すぎて断念した)。

大晦日にはNHKワールドも放映しなかった日本の紅白(さすがにダイジェスト版ながら)をこっちの番組でやったりもしていた。 なんだか、不景気を乗り越えろ的な演出が押し込まれまくっていて、ちょっと痛々しく、余計に惨めな感じがただよっていた。
香港も物流と金融がメインなだけにもちろん不景気だけれど、それほどにネガティブ感が街にない気がする。 まあ、香港の人の生活が私達からはあまり見えていないからだけかもしれないが、いつも陽気に見えるこの街がなんだか愛しく感じるのは、残り滞在期間が短いからだろうか。

2009/01/24

終わっていく香港生活

私の香港滞在ももう残すところ2週間ほどとなった。
寂しいことに、香港での活動の「最後の○○」が増えてきた。

・ 最後のテニス教室
12月からテニスを平日の午前、週1で主婦にまじって習っていた。
人に教わるのなんて、中学生の部活以来である。
中学時代も理論的に教わったことなんて最初のうちだけで先輩のフォームを真似たりして、というばかり(中高一貫校かつ、レベルは高かったのでいい見本はたくさん見つかった)。
自分なりのスタイルを身に着けてからからのくせなんかを指摘してもらったのはほぼ初めてだったので、非常に参考になった。
とりあえず課題メモを作ったので日本でまた細々とやる3年くらいのネタはできた気がする。

・ 最後のテニスサークル
オーケストラの活動と重なってあまり参加できなかったが、結構レベルが高く、楽しかった。
毎週活動しているので、ちゃんと参加すればそれなりのレベルを維持できるしいい運動になってよい。東京でも定期的にできればなあ・・・。

・ 最後の来客
年末から来客ラッシュで、6人/4組の友人が香港に来てくれた。
明日からのこちらの旧正月(明日から5連休!)を過ごしてくれる友人がまた二人来る。 春にも来てくれた二人なので、今度は定番コースではなく、自分も行きそびれていた田舎や離島を見てみたいなあと思ったりしている。
新年の花火は相方の職場から見る予定。

・ 最後の買い物
時間があるので、色々なデパートを巡って、衣類を中心に眺めてみた。
本気でまわったのがセールスの後半のためか香港と趣味が合わないのか、あまりよい品物は残っていなかったが、そこそこ気に入るものを見つけられた。
あまりショッピングには興味ないと思っていたが、そこそこ楽しいことが分かった。
日本に帰っても、たまには行ってみようと思う。

・ 最後のマックフルーリー
全般に香港の日本のマクドナルドよりちょっと安いくらいなのだけれど、マックフルーリーだけなぜこんなに値段が違う?
日本 330円
香港110円くらい

私的絶対評価で、192円出す価値があるとされているので、日本ではきっとほとんど食べない。

マックフルーリーのある生活よさらば

2009/01/18

X Japan 香港ライブ

X Japan の香港公演を見てきた。 http://www.barks.jp/news/?id=1000046380

高校時代にラジオで聞いた Say Anything でひと聴き惚れして、彼らの曲を当時は相当聴いた。
解散してもう10年。一度見てみたかったが一生見ることができないと思っていたライブだったが、再結成して初の海外公演。それを香港でやってくれたなんてなんともラッキーだった。

MISIA のライブとは違ってチケット予約サイトのつながりにくさも格別に高かった。即日完売。
観客も香港人率が高く、日本人っぽい人は今回はとても少なかった。北京語をしゃべっている人はそこそこいたので、本土や台湾から来ている人も結構いたっぽい。

発売と同時に頑張って取った席は日本では到底取れないとってもよい場所で、張り出したステージの準最前列までいけた。しかも近い。メンバーの、息遣いや肉声を感じることのできる距離でライブ感を十分に味わえた。

こちらの客はみんな写真や動画とりまくりであった。
ライブは動画撮影は NG だけれど写真撮影 NG とはどこにも書いておらず、ライブ開始前はたまに警備員も注意をしていたのだが、ライブが始まると写真に関してはなんも咎めがない。フラッシュ焚いている人も結構いた。
(申し訳ないと思いつつ自分も少しだけ撮ってしまった)

(以降はファン以外を考慮していない文章になりますのでご了承を)

TOSHI は歌がうまくなっていた。
昔のライブではあれだけ音程や発声が安定していなかったし、バラード系での表現力も相当上がっていた。違ったジャンルでこれまでとは大きく違うチャレンジをすることで、 精神的にも技術的にも一段上にあがった感じだった。

しかし、HIDE がいないのはやはり寂しい。
彼のパートは SUGIZO が弾いていたり、録音(+映像)だったりしたが、生のセッションとの差は大きすぎる。
HIDEの映像が音とマッチするためにメンバーは決められたリズムで弾いていたが、それはライブのライブ感を少し醒ましてしまう。
再結成&初の世界公演。過去を再現する的なライブで今回はよかったのだと思うが、今後活動を継続するならば、新しい展開に期待。

メンバーやファンからの HIDE への愛情が強く強く感じられた。それが強いだけに、代メンバーを探すのは難しいだろうな。HIDE よりギターが技術的に上だった TAIJI?

あと、YOSHIKI の楽器を壊すパフォーマンスはやはり好きになれない。
工場生産のドラムとはいっても、楽器は代替の聴くものではないはず。
壊すのと同期して炎が噴出していたから、あれは仕組まれていたと思うのだが、もう大人なんだし(?)、復活ライブシリーズ?が終わったら違う次元にいってほしい。

最後に、TOSHI の投げたサイン入りボールを静かにゲット。
2つ同時に投げた時、皆が手前のボールに集中。こちらがパニックになっている一方でもう一つは無視されて、柵と最前列の間のエアポケットに転がったらしい。誰もが、「もうあれは誰かが取った」と思って次のボールに意識を向けていたのだが、私はそれを取った人がいなかったように思えたので粘り強く探してみた。そうしたら、とあるファンの足元に転がっていた。投げられた1分後くらいにそれを回収。まさに灯台元暗しで、そのファンはかなりくやしそうにしていた。
私が取ったボールは TOSHI のサイン。TOSHI が好きなので嬉しかった。
これだけボーカルの人気がないバンドも珍しいと思うが(香港では特に TOSHIコールが少なかった気がする)、あの特別な声がなかったら X Japan は成り立たない。

しかし、ライブはやはりよい。
懐かしい曲を聴いて昔のことを思い出したりしつつ、忘我できた。
多分日本での X のライブほどの非日常性はなかったと思うのであるが、日常ぶっとんだ。
前の席に座っていた女子はライブ後に号泣していた。
私もテンポラリの難聴と共にしばし呆けた。

香港滞在の最終局面にとてもよい時間をすごすことがでた一晩であった。


2009/01/08

テニス 世界一のサイン

JB classic のテニスを見てきた。
気付いた時にはチケットを発売からかなり経っていたのだけれど、隅の方ながらチケットが余っていたので購入。

1. Vera Zvonareva vs Zheng Jie
2. Venus Williams & Coco Vandeweghe
vs Jelena Jankovic & Michelle Larcher De Brito
3. Anna Chakvetadze vs Sania Mirza

の3試合が 280HKD で見られるなかなかお得なものなのに、もったいない。
本当は、Vera Zvonareva のところがシャラポワで、一番見てみたかったのだが、だったのだが、ケガの完全治癒を目指すということで来なくなってしまったのだった。
日本でテニス見に行こうとした時もフェデラーが来なくなってしまったし、つくづくついていない。

遠い席だったので、テレビで見る感覚とあまり変わらず。試合の様子はよく分かった。

ヤンコビッチって怖そうなイメージだったけれど、パートナーとは気さくそうに接していた。あと、思っていた以上にうまい。穴がない。さすが現在世界一。

鄭潔(チェン・ジェ?)は現在の女子テニス、アジアの星。ストロークもネットプレーもとてもよかった。他のトッププレーヤーに比べて圧倒的に背が低いのにすごいなあと感心した。

たいした大会ではないので、特にダブルスはどの選手もリラックスした感じであったが、その中でもビーナスは服装も態度もずば抜けてリラックスした感じ。
実際、あまりやる気もなかったと思われる。
終わったらファンサービスもほとんどなく帰ってしまった。
それでも、プレーは美しく、約200kmのサービスは見ごたえがあった。
明日、ヤンコビッチとのシングルスがあるらしく、見てみたいところだった。

試合間に休憩があるのもあり、6:30開始で、2試合終わった地点で既に22:30。3試合目はないような気になって帰ってきてしまった。

相方はなんとコート上のヤンコビッチから iPod にサインを書いてもらうことに成功していた。うらやましいぞ。

2009/01/06

anniversary

今日は結婚記念日&相方の誕生日。

彼女が以前見かけて気になっていたというセントラルにあるフレンチに行くことに。
Chez Patrik

ウェイターは、かなりフランス語気味な英語をしゃべるので、フランス人とすぐに分かった。それと分かるように、わざとなまったのかもしれない。
(これに触発され、自分も寿司職人になった暁には、磨きをかけたジャパニーズイングリッシュをしゃべるぞと思った)

彼は「あなたたちは日本人? 実は私の彼女は日本人」と、プライベートな情報を教えてくれた。
こちらも、「日本人です」ということで、ミシュランの審査に来ているわけではないという実用的な情報をお返しする。

私は、前菜にフォアグラをチョコソースと(中略)、メインにラムの(中略)(以下略)。

各皿のボリュームは我々のフレンチのイメージとは違ってそこそこあり、前菜+メイン+デザートでおなか一杯。

結論的に言うと、まあまあといったところ。
ローカルの香港的フレンチとは違ってちゃんとしたフレンチであり、おいしかったけれど、特別に感動するものはない。
サービスも普通。広くないし、客もたくさんいなかったので、アットホームな感じ。


香港ではせっかくの機会だしとか、友人が来たのに合わせたりで、おいしい物を食べる機会が増え、食において感動するためには本当に特別なものを食べないといけない状況になっている気がした。 同時に、夜景とかホテルなどのシチュエーションに対する感動も薄まっていると思う。

特別な機会に感動をするためにはこの贅沢病を脱却しなければ。
日本に帰ったらしばらく慎ましく生きようと思うのだった。

2009/01/01

新年進歩(広東語)

先述のとおり、香港は旧正月文化なので、新年のお休みは1/1のみ。
新正月はあまり盛り上がらない。

大晦日気分を盛り上げるための頼みの綱の NHKワールドは紅白を流さないどころか、年末とまったく関係のない番組を淡々と放送。もうすぐ年明けだというのに「日本酒は温めても冷たくてもおいしいよ」と外国人に説明していたり。無料のNHKだからといって愛想がなさすぎる。

でも、ビクトリアハーバーにて花火があがるというので、23時頃から海沿いに出てみた。

すると旧正月の時はどうなるんだろうと心配になるくらいに人がたくさんいた。
広東語だったのでなにやら数字がよく分からないカウントダウンだったが、年明けと共に色々なビルの屋上やら側部から花火が出てびっくりでした。
よくこんな仕込ができたなあと感心。
さすが香港。

元旦は香港中心全域を見下ろす獅子山(ライオンロック)に登る。
1時間ほどの登りで絶景地点に辿り着く、とてもお得なハイキングであった。
下山してそのふもとにある道教の大きいお寺、黄大仙 に初詣気分で行ってみた。

今年も皆様にとって良い年でありますように。