2009/04/17

久々の日本の印象

1年明けて帰った東京の2ヶ月間での印象をつれづれに。

・ 広い
広い。香港では中心部なら歩ききれる感じでもあり、どこに行くのも
30分くらい、1時間あれば空港や中国本土も、という感じだったが、東京では職場まで1時間近くかかったり、友人と待ち合わせるのも一苦労(香港と比べて)、である。
今まであまり意識していなかったが、もうちょいコンパクトなほうが色々楽かも。

・ やたらサラリーマンが多い
スーツを着たいかにもビジネスマンという感じの人を東京の方が圧倒的によく見る。自分が働く場にいなかったという以上に、違う。香港は自営業、私服で働いている人が多いのかな。

・ 人がとげとげしい
なんだか殺気立っている気がする。
ビジネスの場や満員電車ではもちろん、各所で人の自己防衛・攻撃的な雰囲気を感じる。

・ 空気がうまい
東京の冬の空気。おいしい。香港は他のアジアの大都市に比べたら大気汚染はまだましで、苦痛としてそれほど意識されないレベルであったが、東京に戻ったら空気がおいしく、透き通っていると感じたので、やはりそれなりに汚れていたのだ。

・ タバコをよく見る
タバコを吸う人が目に付く。香港では公共の場所、特に室内で吸う人をあまり見なかった。相対的に、日本でとっても目に付く。

2009/03/15

香港生活終えて2 長い休暇で学んだこと

仕事を再開して早くも3週間。

もうすっかり、1年前と同じ感覚で仕事をしている。復帰前は、毎朝目覚ましで起きて電車に乗って・・・なんて生活は苦痛だろうななんて思っていたけれど、あまりに早く、3日目くらいには慣れてしまった。日常に戻ったという感じである。

ひさびさで新鮮な仕事はまだ責任が重くかかっているわけでもないのでそこそこ楽しいのだが、そこそこ長く働くと身体が悲鳴をあげているのは感じる。

まあこれは単に年を重ねたことによるのかもしれない。

働くとやはり週末のありがたさが身にしみる。休みが少ないからこそ、あれをやろうこれをやろうという思いもわいてくるし、間延びもしない。やはり仕事あっての楽しめる休日だなあと思った。
さて、日本で生活していたころには、仕事の合間の休みには海外旅行!と決め込んでいたのもあり、他の軽い活動以外で、継続して時間を割いて打ち込んでいるものはおらず、「仕事が忙しくなくて時間があればあれもこれもできるなあ」と、思っていたことがたくさんあった。あの技術書を読破しようとか、お寺生活時代に考えたことをまとめようとか、テニス習おうとか。

しかし、いざ1年もの休みを得ると、これらのことは実際にはあまりできなかった。ちょっともったいなかったなという後悔がある。

一方で、大切なことをひとつ学んだ。
それは、本当にやらなければいけないと感じることは"~タラやろう","~レバできる"で後ろのキューにまわしてはいけないということ。それらは、無理してでも"今"やらなければ、一生されないと考えたほうがよいということ。そして、それを知った上でなおも、タラレバでやろう、と考えてしまうことは、最初からあきらめてで捨ててしまった方が精神的な荷物が減って楽に生きることができるということ(その象徴は、「いつか読み直したい」程度の本などは捨ててしまって部屋を広くしろというようなこと)。
「後でやる気があるのだ」と思うようにすることは自分に対する言い訳として、一瞬楽にする効果があるが、そうやって作られた宿題は「今を生きる」ことに没頭しきることを妨げている気がする。

若く心身ともに健康な時に1年の暇があってできないことは、今後もできない可能性が極めて高い。もちろん想像もしない機会があるかもしれないし、自分自身の精神構造が変わるかもしれないので、可能性は残しておきつつ、ちょっと心を軽くしてみようかなと思った。

と、言葉のままに実行してゆくのはとても難しいことであると知りつつ、長い休暇で学んだことを忘れないでおきたいと、敢えて文字にしてみた。

2009/02/22

桂林旅行記

桂林の旅行記を書きました

日本からわざわざいく場所ではないと思うけれど、香港在住なら週末の気分転換によいかも。

2009/02/21

香港生活終えて1 休職決意の2つの理由

3月1日より仕事に復帰と思っていたが、急遽、来週から働くことになった。
しかも、初日から客先。
1年以上に及んだお気楽平日がとうとう終了した。 たったの一週間違いだが、いきなりその日が来たという感じである。

久々に働く気マンマン!

・・・というわけでもないが、働かないことにちょっと飽きたのもあり、その気にはなっている。

旅行もマッサージも、つらい仕事の後にこないと開放感を味わうことができないゆえ、そろそろ空腹というスパイスとしての仕事が必要だった。
そして、少なくとも自分の場合はなにか明確に自分が公的な場で活躍しているか、または、一心に打ち込めるものがないと、生活の充実感を自分でなかなか充足させることができないということを、身を持って学んだ。これはお寺で3年近くを生活していたときに予感していたものでもあるが、あの時には学びたいこと、知りたいことが明確にあったので大丈夫だった。

私のいる業界での1年の重みは大きい。
学ぶ領域は尽きることがないし、技術の進歩も早い。1年、現状維持をするだけでも、大きな後退である(そして私は現状維持もできていない)。
過去の1年1年を見ると、前の年にできていなかったことができるようになったとか、人とのネットワークが広がったり信頼関係ができたとかが明確に分かる。 だから、この1年で得られなかったことの大きさが、実感できる。

しかし、それは分かった上で、1年間の休職、香港主夫生活を選んだ。
理由は大きく2つ。

一つは、相方にとって、香港でのキャリアがとても意義のあるものだと感じたから だ。

アジアの重要なハブであり、彼女の仕事分野にて、よりスキルのある人が多くいる香港で働いて得た知識、経験、人脈などは、今後のキャリアの大きな糧になるに違いない。そして、仕事以外でも、得がたい体験が待っているだろう。

だから、彼女には行って欲しかった。

彼女は私が香港に行かないのであれば、香港にはいかないと言っていたので、私も行く決心をした。

香港で"仕事上で"彼女が得るものは、日本で1年間、継続して私と彼女が働いて得るそれの総量より上かもしれない。だったら、私が立ち止まってもいいのではないかと思ったのだった。

もう一つの理由は、私の中で完結している。

私の価値観として、仕事上でいわゆる成功をおさめるよりも、人生の中で、多くの体験をしていろいろな世界を垣間見て行くことがより重要である。
海外で暮らす1年。働き盛りの年齢に仕事をしないで過ごし、主夫的生活を体験すること。
それは、キャリアをどれだけ積んでも得ることのできない貴重ものであり、今後の人生の中で、理解できるものの幅を広げると考えた。

1年分のキャリア上のマイナスは、意識を持って頑張れば、いくらでも挽回が可能である
しかし、この時期に海外で1年生活をするという体験は、逃してしまえば代替がない。

もし、仕事上でとても成功して生活のために働かなくてよくなったら何をしたいか。
世界を見に行きたい。

だから、もしそれが今できるのだったとしたら、する。
ということだ。

そして、1年を終えて。
2つの理由は、どちらも正しかった。

2009/02/19

東京と香港 の家探し

サービスアパートメントに身をおきつつ、1年前に香港でした家探しを、また東京でやっている。

香港は家投資バブル崩壊でこの1年で結構家賃が下がったが、やはり東京はあまり変わっていないようだ。日経平均が約半分になったのを考えると、投資対象としての物件の利回りが大きく下がったり、激しく原価割れしたりしても当然の気もするけれど。

結構、色々と見てまわったが、決め手にかける物件にはまだ出会えていない。

香港は狭いため、住む場所もたいがい都心で、仕事にも生活にも便利な場所ばかりだった。そして、共用設備も充実していた。
あと、前に東京で住んでいた場所も条件がかなりよかった。
それらの記憶が悪さをして、どうしても欠点が目にいってしまう。気持ちを切り替えねば。

去年は「香港は東京より家賃高い!」と感じたが、今年で言うと東京の家賃は香港より高い印象だ。 礼金制度もあるし、仲介手数料も香港では貸主と半々だったのに、日本では借主で基本1ヶ月もちだし。

東京は小規模マンションや一戸建てが多いので、香港と比較すると土地が広い割に人数を収容できていない。
故に、広域にわたって家賃が高くなっているというのもあるだろう。

香港みたいに政府が強制立ち退き&再開発で超高層大規模マンションを作る というのをしまくってもいいのでは。

というのは、新参者の勝手な意見だろうけれど。

ともかく、香港のことを忘れて家探しせねば。

2009/02/16

日本人オケの話

香港生活で日本人オケに入っていたことをほとんど書いていなかったので記録。

香港には、駐在、在住の日本人によるオケがあって入れさせてもらった。
ほとんどが一時的な駐在メンバーなので、入れ替わりが激しい中、よく運営が10年以上も持っているなあと感心した。
メンバーは香港に来ても音楽活動をしようというだけあって(あるいは他にやることもなくて?)、熱心で仕事に対して協力的だったと思う。
人数が少ないと逆に、各自が責任感を持ててよいのかも。
あと、短期メンバーが多いので、既存メンバーにより既にできあがった入り込みにくい雰囲気がなかったのも、自分にとってはよかった。

メンバーはもちろん流動的なので、ビオラは私が入る前は一人もおらず。足りないところには、いつもトラに来てくれる香港人が助けてくれていた。
指揮、指導は音楽の先生もいるメンバーの中で出す。私のいた時は音楽の先生がいたし、他にも指導できる人がいた。結構いいタイミングで来たのかもしれない。
香港の現地オケの英語指導は(練習期間が短いというのもあり)、第一言語でないため、細かいニュアンスを伝えるようなことはあまりなかったので、こちらの方が楽しかった。
本番は日本人小学校の体育館で、音響はそれほどではないが、そこそこに聴きにきてくれる人もいて、アンケート結果を見てもそこそこ楽しんでもらえていたようで、よかった。

あと、ホームページの管理人が香港を離れていたこともあり、新たに私が作り直した。
アンサンブル・ディマンシュ(香港) ホームページ

テンプレートを
http://www.oswd.org/
からもらって、あとは相変わらずテキストエディタで html を書くという地味なやり方で作成。css とか忘れかけていたので、ちょっと時間がかかった。
検索対策も一応した。
しかし、なんのアルゴリズムか、「香港 オーケストラ 日本人」で検索しても、私のブログが一番に出てきてしまう。
(しかもこのブログはアドレスを見ると個人名が特定できるし・・・)

話を戻す。
定期的に練習するオケに入ったのは、実に10年ぶり以上だが、久々にやると結構楽しいという発見もあってよかった。
また仕事が軌道にのって、余裕がありそうに見えたら日本でまたやってもよいかなあという気にもなったのであった。

2009/02/07

香港滞在もあと1日を残すのみ

最後となると、飽きるほど見てきた街の景色がいちいち愛しく感じる。
でも、ここで遣り残したことは・・・と考えてもでてこない。

「でっかいこと」や「新しいこと」はさして何もしなかったけれど細かいことは悔いがない(=あっても帰ってしばらくしないときっと気付かない) 。
テニス、バイオリン&ビオラ、各種オーケストラ、カルテット、ダイビング、旅行など、趣味を満喫させてもらった。
日本人オケのホームページを作ったりもしたし、なんだか昔やったことを改めて色々とできた1年であった。仕事をしているとなかなかまとまった時間をとることができずに難しい。

明日は香港らしく 飲茶&アフタヌーンティーでもして、明後日の朝に飛行機。
1年ぶりの帰国と行っても、電気製品の売り先探し以外は引越しは相方&業者任せなので、する準備は旅行に行くのとあまり変わらない。精神的にも比較的軽い。

この国をさらっと去ることができるのは、香港にいる人々や組織などにそれほど深く関わる生活をしなかったからなんだろうなあ・・・とちょっとそれが寂しくもある。
別れがつらいということは、何かとても大切なものに出会えたことの表裏であることの、その逆をいっているのかもしれない。

日本に帰って、何が恋しくなるのだろうか。