2008/02/23

香港行きまでのあらすじ

会社に入って7年半が過ぎた。

父親は研究者で、大学生になるまでは自分も研究者として生きる以外考えず、サラリーマンになるという選択肢はなかった。 物理学を専攻したけれど、垣間見た大学での研究生活はとても退屈そうに見え、後の人生を預ける気になれず、4年生の時には研究者にはならないと決めた。広い世界のあまりに一部しか自分は見ていなかったと思い、残りの世界と出会いたいと思った。
けれど、会社員になるという選択肢はなおもなく、東京のお寺で3年近く住み込み暮らしをしながらその後の人生を探ることにした。自分が人生をかけようとしていた物理の世界と一番遠いように見えた世界をまずは発掘することからはじめようと。

お寺にて生活をしながら、心理相談室で働いてみたり、科学の世界とはまた違う世界を垣間見て、人生の原点回帰をすることができた。色々な経験をしてみたが、ここは自分の生きる糧を見つける場所ではないと感じて、会社員の世界を試してみるという選択肢をとった。 コンピュータを触るのは昔から好きだったこともあり、IT業界で簡単に仕事が見つかった。就職活動した時期もタイムリーだったが、初期就職にはなんだかんだいっても学歴は重要なんだなという印象も受けた。

会社員生活は続いても5年位かな、と思っていたけれど、それは予想以上に居心地がよかった。
仕事生活には退屈しない適度な刺激が用意されていた。定められたルールの中での競争は、ゲーム的な楽しみができるようになっている。金銭的な心配もない。世間体的にも後ろめたさがない。そこそこ楽しめるだけの技術を身につけて、社内に公私共によいと思える人間関係もでき、このままいくらでも続けられそうだった。

飽きっぽいので部署も3つ目。移るたびにちょうどよいくらいの刺激を受けて、それに伴って成長することができた。しかし、このまま進んでも将来的にいる場所は予想でき、 「この世界を広く見てまわろうと思って生きていこう」という自分の人生の基本理念には反し、なにか異質の世界に入ってみたいと感じていた。

というときに、妻の香港への海外赴任という話があがってきた。 その赴任は彼女にとって挑戦したいものであるが、単身赴任なら行きたくない という状況がちょうどいい後押しになってくれた。 私は日本でのキャリアを一旦止めて、彼女について1年ほど香港に行くことにした。 この働き盛りの時期に一年離れるのはキャリア的に相当マイナスということは、会社で一年で身につけられることの大きさを考えるとよく分かるのだけれど、そもそも仕事で同僚より一歩前に出たいとかいう欲求はそれほどない。 刺激欲求が勝ってしまう。
それに伴って会社の人々には迷惑もかけ申し訳なく思うが、今までそれなりに貢献したし、職種的にはそれほど穴は開かないよね、ということで自分を納得させる。

ということで、あまりあてもなくとりあえず東京の家を引き払い、香港に移ることにした。
(香港は2度観光で行ったが、観光地としては好きな場所ではない)

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